ハイキング・散歩

奥多摩渓谷沿いを歩いた

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 紅葉を観るために、奥多摩渓谷に行ってきた。

 奥多摩駅の手前の白丸駅で降りて、渓谷沿いの遊歩道を歩いていくと、晩秋の黄・紅・緑の入り交じった森の世界に浸ることができる。

 実はほんの2週間前にも奥多摩渓流を歩いたばかりだ。少なくとも月に1度は、どこか森やら里山やらをウォーキングやら散歩やら何やらかんやら(って何だ?)するのが習慣になっている。

 そんな「元一部上場企業で課長やってました、でも今は地域のためにゴミ収集ボランティアに積極的に参加してます、たまの週末は妻と一緒に日帰り登山に打ち込んでます、ハイっ!」的な、健康づくりだけが趣味の団塊おやじと同じようなことをするようになってしまったのはいつからだろう。

 思い返すと、きっかけは「歯医者」だ。

 何年か前に、歯の治療のために馴染みの歯科クリニックにいったとき、次のような会話になった。

歯医者 「歯がだいぶ削れてますねぇ~。夜、相当歯ぎしりしてるんじゃありませんか?」

 「はぁ~。自分では分からないんですが。歯ぎしりを止めるためにはどうしたらいいんですか?」

歯医者 「歯ぎしりの原因はストレスです。」

 「ほう、すると、仕事のストレスを減らしたほうがいいということですか?」

歯医者 「違います。人間とはもともと、原始の時代には、森や野原を駆け回っていました。それが自然なのです。無理矢理、都会のような人口の密集した場所に住んでいること自体がストレスなのです。」

 「は?」

歯医者 「ですから、定期的に郊外の森などに行って、人間のなかにある原始の感覚を解放してやることこそ必要でしょう」

 「・・・」

歯医者 「ほら、重いものを持つときに、歯を食いしばるでしょ。歯ぎしりは、重いものをもつための一種のシミュレーションなのです。身体が「重いものを持ちたい、運動したい」という「声」を発しているんですよ。」

 その後、この歯医者のあやしげな高説は15分ほど続いた。なんとも、まあ、歯痛がぶっ飛んでしまうほど、ファンキーな学説、というか珍説だ。

 要するに、先生によれば、遺伝子のなかに組み込まれている原始時代の感覚が発している悲鳴、それこそが「歯ぎしり」の正体である、というわけだ。なんだか、歯ぎしりという「マイナス」の症状が、突如、かっちょいいものに思えてきたから不思議だ。なんてったって、原始時代から歴史を超えて届いた「雄叫び」なのだから。

 とはいえ、「日本一理性的な人間」をもって目下売り出し中の私としては、まあ、ファンキーな歯医者の先生には悪いけど、はっきりいえば、そんな話は全く信じられなかった。

 のだが、その後、どうして週末になると郊外にいそいそと出かけるようになってしまったのだろうか、私は? しかも、心の中がうきうきするのだ。まるで、私のなかの原始の感覚が目覚めるように・・・・・・ん?

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