もう10年以上前になるが、三鷹に住んでいた頃に、駅前の小さなラーメン屋によく通っていた。「えぐち」という知る人ぞ知る店で、かつては近所に住む有名な文豪もひいきにしているという店だった。行列をつくるほど混むことは滅多にないが、往年の贔屓客がついていたせいか、席はいつも埋まっていた記憶がある。
それなりに名が知られていた店であるから、「味のほうはさぞや」と思われるかもしれないが、正直なところ、美味しいと言い切る自信はない。まあ、客観的にいえば、たぶん「まずい」のだと思う。振り返れば、私は知人を計10人ほど「えぐち」に連れて行った計算になるが、そのうち「うまい」と言ったのは1人だけだった。しかもそいつは味音痴だった。
では、なんで私は、旨くもない、というかまずいラーメン屋なぞに足繁く通っていたのだろう。あらためて振り返ってみると不思議でならない。店の親爺がドバッとスープに入れる味の素のせいで舌が麻痺でもしてしまっていたのだろうか。たぶん、それもあるだろう。ただそれとは別に、私は不思議なものに意味もなく惹きつけられてしまう悪い癖があって、「えぐち」はその意味では、私の琴線におもいっきり触れるところがあったのだ。
それは、一言でいえば、「注文通りに品物がでてきたためしがない」という点につきる。たとえば、私が「チャーシューめん」を頼むと、なぜか「五目そば」が出てくる。「五目そば」を頼むと「ワンタンめん」がでてくる、という具合だ。いったいどうして、こちらの注文した内容が店の親爺に通じないのか、不思議でならなかった。最初の頃は腹が立って、「ちがうよ、おやじ」とか文句を言っていたのだが、そのうち諦めた。何度言っても、相も変わらず注文とはちがうものがでてくるからだ。そのうち、気が付くと、果たして今日は何がでてくるか愉しみすら覚えるようになっていた。俗に、これを三鷹界隈では「えぐち病」と呼ぶらしい。
ただ、私は、不思議な現象に身を任せたまま、「人生とは不条理に満ちてるものなのだ、ふむふむ」とのたまうほど達観してはいない。ましてや、「この不思議さが心地良いの!ルン!」とか言って、思考停止の不思議ちゃんになってしまうほど、おめでたくもない。こうみえても私は、『海底二万里』のネモ船長に負けないぐらい、ロジカルな人間なのである。不思議なものを見ると、とことんその正体を暴きたくなるのだ。
そんなわけで、私はある「仮説」を立てた。それは単純なことで、注文内容と実際にでてくる料理の「ズレ」には、ある法則性があるのではないか、ということだ。簡単にいえば、「ラーメン」をたのむと「チャーシュー麺」が、「チャーシュー麺」を注文すると「五目そば」が、以下列挙すると、「五目そば→ワンタンめん」「ワンタンめん→タンメン」「タンメン→五目チャーシュー」・・・という具合の規則的な変換法則が存在しているのではないかということだ。これはそれまでの経験を振り返って、まさしく「実証的」に編み出した理論だった。名づけて「えぐち、ラーメン変則の理論」である。
思い立ったが吉日、その日、意気込んで私はえぐちに向かった。そして私は、チャーシューめんを注文した。変則理論に基づけば、「五目そば」がでてくるはずだ。私は、おやじがラーメンを出してくる瞬間を待った。こういうときほど、時間の経つのがうらめしくなるときはない。普段以上に、おやじの湯切り作業がちんたらしているように感じる。う~ん、じれったい。早く来い、なにがでてくるんだ、おやじ!
「へい! おまちぃ~」。次の瞬間、湯気に覆われたどんぶりが私の前に置かれた。湯気のせいで、中身がよく見えない。なんなんだ。その瞬間、私の目はとらえた、五目そばだ! それは、自分の理論が証明された瞬間だった。やった勝利だ! っていうか、なにに勝ったんだかよく分からないまま、私は不思議な充実感に満たされていた。
感動をかみしめ、勝利のラーメンに酔いしれながら、次第に落ち着いてくると、私は自分の理論の検証作業をさらにすすめた。他の客の注文も、変則理論の通りになっているか、確かめ始めたのだ。その結果、ばっちり、理論どおりに事が進んでいるではないか! 私は確信した。自分は間違っていなかったと。なるほど、スケールは違えど、深遠なる宇宙の法則を解き明かしたときのアインシュタインの気持ちとはこういうものだったのかと、実に感慨深かった。
さて、1週間ぐらい経った頃であろうか、私は久しぶりにえぐちに向かった。もはや恐いものなどない。宇宙の法則、否、えぐちの法則はすべて解き明かした、その謎の正体はすでに我が手中にあるのだ。店ののれんをくぐると、タンメンを食べたかった私は、意気揚々「ワンタンめん」と叫んだ。やはり、自分のこれから食べる料理の正体がはっきりしているのは安心する。食事時ぐらい、人間、心安らかにいたいものだ、などと、えぐちで初めて体験する安寧に身をまかせながら、出されたどんぶりのなかに野菜をまさぐって口にした。
「こ、これはワンタン!?」 正直、何が起こったのか、よく分からなかった。法則通りにいけば、今ごろは健康的にタンメンを味わっているはずなのに、目の前にあるのは「五目ワンタンめん」。目が点になる、というのはこういうことなのだと初めて体験した。一瞬、思考が働かなくなるのだ。
「ど、どういうことだ?」 思わず声に出してしまった。それほど唖然としていて、周囲がみえなくなっていた。次の瞬間、横の男がぼそっと言った。「あんちゃん、まだまだやなぁ~」。たしか、その男は、よくえぐちで見かける常連だった。顔なじみから「やまちゃん」とか呼ばれていたはずだ。もっとも、私は彼とは2、3度しか話したことはなかった。それもたわいもない世間話だ。
驚いた私は、その通称やまちゃんの顔を、無遠慮にもまじまじとみてしまった。すると、やまちゃんは、私にこう言ったのだ。「えぐちの変換法則は、一朝一夕にわかるもんやない」と。私はわけがわからず、「えっ? どういうことですか」とたずねた。男は急に声が小さくなり、なにやらぶつぶつ言っている。私は必死で聴き取ろうと、店の喧噪のなかで耳をダンボにするも、どうもわかりづらい。ただ、おおよそ男は次のような内容のことを言っていた。えぐちの変換法則は、1週間に1回変更する。その変換パターンは、独自の乱数表を組み替えることで、ランダムに毎週定めている。もしそれが知りたければ、来週この店に来い、と。
にわかには信じがたかった。言っちゃあ何だが、たかだか場末のラーメン屋のメニューのことで、「乱数表」やら「変換パターンの組み替え」やら、話が大げさすぎる。まるで秘密組織の暗号解読のような話ではないか。あまりにリアリティがない。えぐちは、どう見ても、どうひっくり返しても単なるラーメン屋だ。それ以上でもそれ以下でもない。だが、はとが豆鉄砲を食らったような顔をした私を置いて、やまちゃんはそのまま店を去っていった。
その後、しばらく私は、えぐちには行かなかった。たしかに私は、不思議なものに心惹かれるが、今回の件はあまりにリアリティに欠けすぎている。そんな話は、「ディズニーランドの地下に鼠用駆除剤を大量生産する秘密工場が存在する」という都市伝説以上に突飛すぎるし、だいいちバカバカしいにもほどがある。たぶん、常連のやまちゃんが、気晴らしに新顔の私をからかっただけだろう。それに結局、注文通りにラーメンがでてこないのも、単におやじの物覚えが悪いだけだ。私はそう結論づけた。そのため、自然とえぐちからは足が遠のいた。
それから3週間ぐらいした頃だろうか、なぜだか分からないが、ひさしぶりにえぐちに行ってみた。たぶん、完全に割り切ったと思いながらも、どこかでやまちゃんの話が気になっていたんだと思う。店に入って注文を済ませて、まったりと新聞を読んでいると、隣のおやじが話しかけてきた。「あんた、やまちゃんに乱数表の話もちかけられたかい?」。私はびっくりして、「えっ?」と問い返すと、おやじは「いや、きいてなきゃ、いいんだ」と、そそくさと店を出て行ってしまった。どうしてあの話を、他の人が知っているのだろう。
わけが分からなくなった私は、とにかくやまちゃんに会わなければと思い、しばらくえぐちに通って彼を捜した。だが、結局かれには二度と会えなかった。何人かの人から聞いたところによると、どうもやまちゃんは私に乱数表の件を話した1週間後ぐらいに、この街から去っていったということなのだ。結局、あの話は本当なのかどうなのか、それを確かめる術はなくなってしまった。
ただ、その後、いろいろな人に聞いてみたところ、やまちゃんが乱数表なるものを持っていて、それを誰かに託そうとしていたらしい、という噂そのものはあったらしい。そして、その乱数表が店の「注文→実際」の関係性を指示する内容のものであったらしい、という噂もきこえてきた。ただその噂の内容そのものが本当なのかデマなのかは、誰も分からないらしい。
さらに噂の内容を掘り下げていくと次のようなことが分かってきた。一見、物覚えが悪いだけで間違えているようにみえる、えぐちのおやじの注文/料理のズレは、実はやまちゃんとの相談のうえで乱数表に基づいて毎週定められている法則性に従っていること、そしてそれは客のなかではやまちゃんだけが知っているということ、さらにその乱数表の所持は一子相伝の掟によって、常連のなかで代々受け継がれてきたこと、したがって、今回やまちゃんは三鷹を離れるにあたって、乱数表を相続する相手を探していたこと。
う~ん、ということは、やまちゃんが私に話しかけてきたのは、その乱数表を一子相伝で私に受け継がせようとしていたということなのか。つまり、私が、えぐちの乱数表相続の系譜のなかにその身を置く可能性があったということか。う~ん、信じられない。ますます、話が現実離れしてきた・・・
結局、なんだかわけが分からないまま、話はうやむやになってしまい、その後しばらくして私も三鷹から越していったので、謎は深まるままだった。ただ、今でも思う――もし、やまちゃんの話が本当なら、今ごろ私が相続するはずだった乱数表が密かに誰かの手に受け継がれているのかも知れないと。