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2008年11月

奥多摩渓谷沿いを歩いた

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 紅葉を観るために、奥多摩渓谷に行ってきた。

 奥多摩駅の手前の白丸駅で降りて、渓谷沿いの遊歩道を歩いていくと、晩秋の黄・紅・緑の入り交じった森の世界に浸ることができる。

 実はほんの2週間前にも奥多摩渓流を歩いたばかりだ。少なくとも月に1度は、どこか森やら里山やらをウォーキングやら散歩やら何やらかんやら(って何だ?)するのが習慣になっている。

 そんな「元一部上場企業で課長やってました、でも今は地域のためにゴミ収集ボランティアに積極的に参加してます、たまの週末は妻と一緒に日帰り登山に打ち込んでます、ハイっ!」的な、健康づくりだけが趣味の団塊おやじと同じようなことをするようになってしまったのはいつからだろう。

 思い返すと、きっかけは「歯医者」だ。

 何年か前に、歯の治療のために馴染みの歯科クリニックにいったとき、次のような会話になった。

歯医者 「歯がだいぶ削れてますねぇ~。夜、相当歯ぎしりしてるんじゃありませんか?」

 「はぁ~。自分では分からないんですが。歯ぎしりを止めるためにはどうしたらいいんですか?」

歯医者 「歯ぎしりの原因はストレスです。」

 「ほう、すると、仕事のストレスを減らしたほうがいいということですか?」

歯医者 「違います。人間とはもともと、原始の時代には、森や野原を駆け回っていました。それが自然なのです。無理矢理、都会のような人口の密集した場所に住んでいること自体がストレスなのです。」

 「は?」

歯医者 「ですから、定期的に郊外の森などに行って、人間のなかにある原始の感覚を解放してやることこそ必要でしょう」

 「・・・」

歯医者 「ほら、重いものを持つときに、歯を食いしばるでしょ。歯ぎしりは、重いものをもつための一種のシミュレーションなのです。身体が「重いものを持ちたい、運動したい」という「声」を発しているんですよ。」

 その後、この歯医者のあやしげな高説は15分ほど続いた。なんとも、まあ、歯痛がぶっ飛んでしまうほど、ファンキーな学説、というか珍説だ。

 要するに、先生によれば、遺伝子のなかに組み込まれている原始時代の感覚が発している悲鳴、それこそが「歯ぎしり」の正体である、というわけだ。なんだか、歯ぎしりという「マイナス」の症状が、突如、かっちょいいものに思えてきたから不思議だ。なんてったって、原始時代から歴史を超えて届いた「雄叫び」なのだから。

 とはいえ、「日本一理性的な人間」をもって目下売り出し中の私としては、まあ、ファンキーな歯医者の先生には悪いけど、はっきりいえば、そんな話は全く信じられなかった。

 のだが、その後、どうして週末になると郊外にいそいそと出かけるようになってしまったのだろうか、私は? しかも、心の中がうきうきするのだ。まるで、私のなかの原始の感覚が目覚めるように・・・・・・ん?

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宮田珠己のエッセイで悶絶した

 宮田珠己というエッセイストがいる。おもにアジアなどを旅して、旅行エッセイを書いている。

 なんと形容していいいのかわからんが、ふざけたエッセイである。というか、ふざけたヤツである。まったく・・・

 私は作家の真骨頂はすべて処女作に凝縮されているという持論をもっているので、まずは宮田珠紀の最初の作品である『旅の理不尽』を手に取った。

 こいつはバカか、と思った。

 読者は、このあと、「このバカさ加減にまいった、うほうほ(笑)」とか、「この革命的アホさが気に入った、イェーイ!」とか続くと思っているかもしれないが、私は本気で、あまりのアホさ加減に思わず本を投げ出したのだ。滅多にないことである。

 ほんとに「頭からっぽ!」という感じである。たとえてみれば、展開みえみえ、70年代少女漫画のほうがまだ物語に深みがあったぞ的なツッコミを入れたくなるほど単純きわまりない韓国ドラマにはまっているアラフォー女の頭の中くらい、「頭からっぽ」という感じである。

 そういうお前だって、チェ・ジウ主演のドラマ『真実』のなかで、チェ・ジウのことを金持ち娘だと思いこんでいたのだが本当は運転手の娘だと気が付いた恋人の男にボロぞうきんのように捨てられたチェ・ジウのよよと泣く姿に涙してたじゃないか、とか何とかツッコまれてしまうと、返す言葉もない。

 しかし、私の家には立派な棚があって、自分のことをその棚に上げることができるので、そういう的を射た反論は独断的に却下させてもらうのだ。

 そういうわけで、幾多の反論の嵐をバッタバッタと見事に切り捨てて、「宮田珠紀=頭からっぽ」説に落ち着いた私は、そんな作家がいることさえ、すっかり忘れていた。

 のだが、ある日、なんかのきっかけで『わたしの旅に何をする。』という、いささか挑発的な題名の本を手に取った。

 革命的におもしろかった。

 私が宮田珠紀にはまった瞬間は、たしか52頁(テキトー)あたりの次のようなくだりを読んでいるときである。たしかインドあたりを旅していたときに、カナダ人だか何人だか忘れたが西欧人に会って、その人に「君はどんな仕事をしているんだ?」と訊かれて、宮田が「サラリーマン」と答えようと思ったのだが、いや待てよ、サラリーマンというのは和製英語ではないか?、とすると英語では「ビジネスマン」というのではないか、おお!いかにも「仕事のできる男」という響きがしていいではないか!と思って、意気揚々と「ビジネスマン」と答えたところ、相手は「私はテクニシャンだ」と答えたので、宮田が、なにおー!! 私が夜の生活のほうでテクニックがなさそうだと決めつけるのか! おおそうか! バカにするなよー! とか何とか息巻くところは、腹がよじれるぐらい笑った。(※テクニシャンというのは技術者のことである)

 たぶん、15分ぐらい、笑い続けたと思う。笑いすぎてこのままだと死んでしまうと思ったのは、6歳のときに「8時だよ!全員集合」でカトちゃんの「ちょっとだけよ~」を観て以来のことだ。

 なに? 結局お前は、下ネタにウケている頭からっぽの6歳の子どもと変わらんのではないか、だと?

 まあ、そう言われると返す言葉もないが、繰り返しになるが、そういう的を射た反論は却下させてもらうのだ。

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